2005年10月01日

予防接種法改正(MR2種混合ワクチンのこと)

平成18年4月1日から麻しんと風しん予防接種2回接種制度が導入されることが決まりましたね。これまではそれぞれ別のワクチンだったのが、弱毒化された麻疹と風疹の混合生ワクチンを生後12ヶ月〜90ヶ月の間と就学前の1年間の2度接種するという方法に変わるのです。(詳しくはコチラ

このニュースを受けて、頭をかすめるのはMMR問題のこと。接種する側からすれば1度で2つの病気の予防接種が済むという利便性があるのかも知れないけれど、このワクチン本当に大丈夫なのでしょうか…。三種混合は最も副作用が多いというデータがあるよう(麻疹や日本脳炎の約2〜3倍の報告※『予防接種に行く前に』より)ですし、ワクチンを掛け合わせるということは子どもにとってはより負担や危険性が高まるのではないのだろうか、と素人考えですが、そんなイメージを抱いてしまいます。

そもそも、はしかや風疹って現在でもそんなに恐れるべき病気なのでしょうか…。

麻疹という病気は終戦直後は2万1000人の子どもが亡くなっていたけれど、栄養状態が改善された昭和50年代初頭(予防接種が開始される以前)には年間100人を切っているそうです(今現在、はしかで亡くなる場合は何らかの合併症が原因と考えられているようです)。この数字をどう捉えるかということになるのでしょうけれど、何日も高熱が続くのは、子どもにとっても親にとっても辛いけれど、病気はかかるべきときにかかってしっかりと免疫をつけるほうが大切なのではないかと個人的には考えています。

予防接種全般について言えることですが、流行を防ぐために予防接種を受けましょう、と言われると人に迷惑をかけないために受けさせなければならないのかなぁと考えてしまうこともあると思うのですが(強制されるようなことも実際にはあるみたいですね)、予防接種でできた免疫は確実なものではなく、予防接種を受けたからと言ってその病気にかからないわけではないのだそうです(実際、ワクチン接種率の高い地域でその病気が流行ることがある)。むしろ、病気にかかりきることで自然に作られた免疫を持っているお母さんがどんどん減っていくことで、生まれてくる子どもたちにも強い免疫を残してあげれらなくなってきているという現実の方が恐いように思います。

風疹に関しては、妊娠初期にかかると胎児に障害を残す場合があるという点では恐い病気であることは確かなのでしょうけど、子どもがかかる分にはごく軽い病気。それならば、尚のこと自然な免疫をつけておくことが重要視されるべきなのに、麻疹とセットになってしまうと風疹は希望していなくても一緒に受けなければならなくなるのは危険だと思うのは私だけでしょうか…。私自身、妊娠初期の抗体検査で風疹の抗体値が高かったため、感染の疑いがあるといわれショックを受けた経験があるのですが、再検査の結果、自然にできた免疫が高かったのだということが分かりました。そんな経験からもやっぱり病気にかかることの大切さという観点も忘れてはいけないのではないかなと思うのです。病気にかからない、かかっても軽く済むように日ごろから身体作りを心がけるという積極的な姿勢で我が家は子どもの病気と向き合っていこうと考えています。


現行の麻疹、風疹ワクチンについて、たびたび紹介していますが、たぬき先生のお部屋(毛利子来先生のHP)も厚生労働省のパンフレットとは違った角度からの考えとして参考になるかと思います。

麻疹ワクチンについて
風疹ワクチンについて
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2005年09月27日

『あかいくるまのついたはこ』モウドとミスカ・ピーターシャム

あかいくるまのついたはこ
モウド ピーターシャム ミスカ ピーターシャム Maud Petersham
4924938351

akaikuruma.jpg

レトロな雰囲気のイラストと赤い縁取りがポストカードのように印象的なこの絵本は、アメリカで半世紀に渡って読み継がれてきたもので、作者のミスカ・ピーターシャムは別の作品でコールデコット賞(アメリカで出版された絵本の中で最も優れた作品の画家に対して年に一度贈られる賞)を受賞しているそうです。細かく描き込まれた絵の中に使われている色は赤・黒・黄のみで暖かく落ち着いた雰囲気を感じさせます。


庭の木の下にぽつんと置かれた赤い車のついた箱…。
牛、馬、うさぎ、あひる、ねこ、犬とたくさんの動物たちが「なんだろな?」と箱を覗きに来ます。動物たちそれぞれの箱を覗き込む様子に、読んでいる側も「何が入っているのかなぁ」とぐっと引き込まれていきます。

中に入っていたのは赤ちゃんでした。

赤ちゃんに呼ばれて、あわてて動物たちを追い払うお母さんは、しょんぼりしている動物達と赤ちゃんを見て気づき、もう一度動物たちを庭の中に入れてやります。



ユズも大好きなこの絵本。お友達のところでもやっぱり今一番のお気に入りだそうです。動物達の表情が豊かなので、いつの間にか絵本の中に入り込んで動物達と一緒に遊んでいるような気持ちになれるのかも知れません。


余談ですが、この絵本に出てくる赤ちゃん、母親のことを可愛らしい仕草で「ママ!ママ!」と呼ぶのですが、ユズは普段私のことを「お母さん」と呼ぶくせに、このごろ甘えるときだけ「ママ〜」なんて言ったりします。「ママ」という言葉の甘い響きは、なんだか私には照れくさいけれど、子どものことをひときわ可愛いく感じさせてしまう魔法の言葉!?ユズもきっとそれを分かって使っているのだろうな…。

2005年09月25日

衣類の安心防虫剤

朝晩はひんやりして秋らしい空気を感じることが多くなってきました。
我が家もそろそろ夏物から秋・冬物へボチボチ衣替えをしようかなぁと思っています。

衣類の防虫剤も様々な製品がありますが、蚊取り線香同様(※過去ログ)、その殺虫成分には危険性の高い化学薬品が使われているものも少なくありません。今までこれらの製品を使ったりもしてきたのですが、防虫スプレーのように後になって危険!と発表されるのも怖いのでやはり考えて製品選びをしなくてはと思っています。

市販の化学合成された防虫剤の主な成分にナフタリン、パラゾール、ピレスロイドなどがあります。ピレスロイド系は無臭であるため、最近は商品も多く出回っていますが、蚊取りマットなどと同様無臭であるがゆえにその潜在的な危険性に気づきにくいという一面もあるのかも知れません。→ココに詳しく出ています。

やはり安心なのは、化学合成されたものよりも天然成分。楠の木の葉はその独特な臭いに防虫効果があるとされ、菊香せんこうでもお馴染みのりんねしゃから、天然くすのき成分100%の『くすの木しょうのう』という製品が出ています。樟脳を使うときは、上記の化学合成成分と反応して衣類にシミを作ることもあるそうなので、新たに使い始める前に衣類をしっかり虫干ししておく必要があるようです。

我が家でもクスノキしょうのうを使い始めましたが、やっぱり臭いは多少気になります。空気に触れると香りはかなり飛ぶようなのですが、小さい子がいる家庭では誤飲の危険性も気になるかも知れません。→子どもの誤飲110番

他にも防虫対策として、衣装ケースを桐の箱にするなどという方法もありそうですが今さら衣装ケースから変えることもできないし、レッドシダー材ハーブを使う方法はどうかなぁと思っています。特にレッドシダー材は香りが弱くなってきたらヤスリで削ればまた使えるところがよさそう…。お使いの方、いらっしゃいますか?
posted by sayah at 15:28| Comment(4) | TrackBack(1) | +ナチュラルケア+ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月23日

陽性の熱?

ユズの発熱、今回は随分上がりました。

朝から(今までは夕方くらいから熱が出るというパターンなのだけれど)38度台の熱と下痢。午後には39度台まで上がる。39度を越す熱というのは今まで経験がなかったのですが、ぐったりしているということもなく、今回もこの日はこのまま様子を見ることに。

いつもなら一晩寝て朝には熱も引いているということが多いのに、今回は全く下がらず、午後になって39.7度まで上がって、なんだかうつらうつらしているし、さすがに食欲も落ちてきているユズを見て、念のため病院を受診しようと思い、夕方の診療に予約を入れたのですが、昼寝して起きるとユズの熱は37度にまでがくんと下がっていて、結局そのまま家でゆっくりすることにしました。次の日には平熱になって、すっかりいつもの調子に戻り、まだ少し下痢はあるけれど、ほっとひと安心しています。

大森先生の本にも『穀物菜食の家庭では、子どもが玄米の食べすぎによって腸と腎臓が炎症を起こし熱を出すことはよくあること』と載っていて、ユズはずっと玄米を食べてきたけれど、ここ数ヶ月、食事の内容を変えたこともあって、今身体の中を整理しようとしている時なのかも知れません。マクロビオティックの陰陽で言うと子どもは大人に比べて陽性。私は陰性傾向なのでついつい食事が陽性傾向に傾いてユズには負担になっていたのかなぁとも思ったり。季節の変わり目だし、もしかすると夏の疲れが出ただけなのかも知れないけれど…。

子どもの熱は大人より平熱が高い分、上がりやすくてびっくりしますけれど、熱が高くてもほかに症状がない場合はまずそのまま様子を見ていてもいいことが多いようです(かえって微熱が続くようなときの方が要注意らしい)。病院に行くと、39度台になるとたぶん解熱剤を処方されるのだろうけど、風邪のときなどは、身体の中の細菌やウィルスをやっつけるという熱が持つ本来の意味を考えれば、できる限り自然な力を応援したいと思っています。子どもがぐったりしているときなどは早くラクにさせてあげたい!と思ってしまうけれど、薬の力を借りることで治るまでの日数が長くなるという報告もあるようです(『はじめてであう小児科の本』より)。※解熱剤の怖さについてはココにも詳しく載っています。

今回の家庭での手当てはりんごジュースのみ。あとはひたすらおっぱいでした。もう、役目を終えてもいいのでは…と思っているのは私だけのようで…。しんどいときもおっぱいはまだまだユズの心の支えになってくれているようです。


【手当て法メモ】
りんごジュース:子どもの食べすぎの熱(陽性の熱)のとき

できるだけ自然な形で栽培された果汁100%(濃縮還元ではないもの)のりんごジュースをそのまま服用するか、りんご一個分を半分すりおろし食べさせ、残りは絞り汁にして飲ませる。
posted by sayah at 01:29| Comment(6) | TrackBack(0) | +看病の記録+ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月15日

『食べられる』ことに感謝…

安心な食材を…と考える人が増えてきて、スーパーなどで手軽に有機野菜が手に入るようになってきました。でも、こうして世間のニーズが高まってくるにつれて『工夫』が凝らされ(野菜に限らずですが)、本当のことがやっぱり見えにくくなってしまうように思います。

私も有機JAS認定のお野菜は無農薬だとかつては誤解していたこともあって、自分がきちんと調べていなかったことも悪いのだろうけど、そこには何かからくりがあるような気がしてしまうのです。そして農薬がかかった野菜やお米よりも、輸入の小麦や大豆(もしくはその加工品)、輸入の飼料を食べている家畜の方がずっと恐いのだということもとても見えにくい事実なのではないでしょうか。

自分で少しだけ野菜を育てていることもあって(今はしばしお休み中ですが)、もう少し野菜作りのことを知りたいと思っていくつか本を読んでみると、目先の効率を重視するあまり、必要以上に肥料を与えたり、病気を未然に防ごうとしたり、害虫などを駆除したりすることによって生態系を崩してしまうことが却って悪循環に陥るのだということが事実としてあるようです。もっと自然界の持つ力を信じて、あるがままを大切にすれば、丈夫で健康な野菜が育っていく。なんだか野菜も人もおんなじだなぁなんて思いました。どうやら有機野菜がブームになったことで環境に負荷がかかっている一面もあるようです(過剰な有機肥料が自然に還るのが難しくなっていることなど)。でも、実際、採算性を考えるとこれらは難しい問題なのかも知れません。

少し前にイベントで地場の野菜の即売会があって、そこで野菜を売っていた農家の青年に何気なく「無農薬ですか?」と尋ねると、無農薬野菜を作る知識が自分達にはないこと、そんなことをしていたら採算が合わないため、自分達の体を害する危険性と隣あわせになりながらも農薬を使っていることなどを切々と語られて、不用意なことを言ってしまったという申し訳ない気持ちと食に対してエゴイスティックに向き合ってきた自分に罪悪感を感じてしまいました。

以前は安価で見た目のキレイな野菜が望まれていたのに、消費者のニーズが少々値が張っても、少々見た目が悪くても安心して食べられる野菜を…という風にシフトしてきて、農家の方たちも戸惑っていらっしゃるのかも知れません。

他の食材に関しても、昔言われていたこととは違った事実も判明したりして、それに振り回されてしまう生産者の方もきっと大変なのでしょう。今の流れがよい方向に変わっていけば、と願うけれど、その裏には複雑な事情もからんでいるのだろうし、たくさんの犠牲も払わなければならないのかも知れません。


食に関して、知れば知る程分からなくなったり、知らないほうがよかったのかも…と思うこともあったりするのですが、家族や自分の健康を追求することばかりに目を向ける前に、まずは「感謝すること」を忘れないでいようと思います。

2005年09月09日

アロエの効能

昔、家族で海水浴に行ったとき、弟がくらげに刺されて救護室に手当てしてもらいにいったことがあったのですが、なんとその救護室にあったのはアロエの鉢だけ。当時、ギャクみたいやなぁと家族で笑ったものですが、アロエのゼリー状の部分を傷口に当てておくと、くらげに刺された腫れはすんなり治まったことに驚きを覚えた記憶があります。

アロエも「医者いらず」なんて言われるほど、色々な効能があって、ゼリーの部分を貼っておくと、やけどや傷の炎症を抑えたり、食用することで便秘や高血圧が改善されたり、化粧水などにもよく使われたりしていますよね。

実家にはたくさんあったアロエだけれど(母が毎日食べていた)、しばらくご無沙汰していました。ところが、先日夫が実家からアロエを一鉢もらってきたのです。なんでも抜け毛にいいのだそうで…。夫の家系は髪の毛が寂しくなりがちな傾向らしくて、夫も今からすごく抜け毛に敏感。ビワの葉のチンキに触発されて、自分もアロエチンキを作ろうと思い立ったようなのです。

アロエを数日間天日干しにして、焼酎に漬けると結構すぐにエキスが抽出されます。

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(色は↑こんな感じになります。)

お好みで少し薄めて使うとアロエトニックの出来上がり♪
結構さっぱりした使い心地で爽快です。夫は抜け毛が減って、髪にもコシがでてきたみたいといっておりますが、そんなにすごいのかなぁ〜。

私もまだユズが赤ちゃんだったころ、母乳で栄養を吸い取られていたせいか、抜け毛の激しい時期がありました。今も季節の変わり目で少し抜け毛が多くなったような…。体を少々冷やしたのかも知れません。体の内側からのケアも大切ですね。
posted by sayah at 00:43| Comment(5) | TrackBack(0) | +ナチュラルケア+ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月03日

ハサミでちょきちょき

少し前にハサミが使えるようになったユズは、このごろは一人で黙々と『工作』を楽しんでいます。要らない紙をちょきちょき好きなように切って、セロテープで貼って、それを乗り物などの身近なものに見立てて遊ぶのです。

始めは家にあったハサミを使っていて、大きいし使いにくそうだと思い、子ども用の手が切れなくて安全というハサミを買ってみたのだけど、これはこれで刃が切れにくいため、ユズは結局普通のハサミを使うようになりました。包丁などもそうですが、使い慣れてくると子どもなりに手を切らないように考えてやっているようです。

そんなことを実家の母に話すと、教室で使っているいい教材があるから…とハサミで切る練習(?)をする教材を送ってくれた。見てみると、子どもが喜びそうなかわいらしい動物などの絵が書かれていて太い線の部分をきれいに切りましょう、というもの。親に向けた「遊び方マニュアル」のようなものもきちんと書かれている。「う〜ん、やっぱりこれが今でも世間一般の教育なのかなぁ。」とちょっとフクザツ…。私としては好きなところを好きなように切ればいいやんって思ってしまうんですよね。日本の教育はやっぱりまだひとつの答えをいかに早く正確に導き出すかということが主なんでしょうか。『X+Y=』を導き出すのがすべてというのではなくて、もう少し『Z=∞』という方向に向かっていってもいいんじゃないかなって思う。ただ、授業の時間数を増やしたり減らしたりするのではなく、根本がそういう風に変わっていったら、今学校や社会が抱えている問題も少しは解決するのではないかと思うのですが、どうなのでしょう。

せっかく送ってくれた母には申し訳ないけれど、ユズはせっかく考えて作られている教材を『太い線』のことなどお構いなしに切り刻んでおります…。

2005年08月28日

『チリとチリリ うみのおはなし』どい かや

チリとチリリうみのおはなし
どい かや
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以前に記事にした『チリとチリリ』の絵本第2弾。夏になってからこちらも我が家の本棚にやってきました。

土井香弥さんの絵本は、女の子の夢がつまったようなものが多く、少女の頃の気持ちを思い起こさせてくれます。様々なタッチの絵本を描かれていて、すべてフェルトで描かれたものもとってもカワイイのですが、チリとチリリシリーズは多彩な色鉛筆。色鉛筆でこんなにも柔らかく美しい絵を描き出せるのだと知ったのは黒井健さんの絵本が最初でしたが、土井香弥さんの絵もとても美しくロマンチックです。

「まきがいとしんじゅがいのソファー」「なみのあわパフェ まきがいふう」「うみのソーダゼリー しんじゅクリームのせ」「海の中の宝探し」…前作同様、絵本に登場するシチュエーションから食べ物に至るまで、絵本の中に行ってみたくなるような独創的な世界が展開されます。ストーリーにも可愛らしい「オチ」がちゃんとついています。


今年は海水浴に行きそびれ、ユズは絵本で我慢…。もう少し涼しくなってから秋の海を満喫しようと思っています。

2005年08月21日

「シュタイナーの世界」展に行ってきました。

大阪南港で20日〜28日まで開催されている「シュタイナーの世界」展に行ってきました。

期間中は展示の他、人形劇、羊毛の手仕事のワークショップ、オイリュトミーデモ公演、エポック授業体験、シュタイナー教育関係者の方の講演などが開催されます。

期間中を通して無料の公開教育相談というものがあり、初日の20日は子安美知子さんがいらっしゃるということで、早速昨日足を運んできました。

このイベントはあまり広まっていないのか、こんなまたとないチャンスに集まったのは10人程度。1時間ほどの間でしたが、小さなスペースで和気あいあいとしたムードの中、お話を伺うことができました。

参加したそれぞれの方が子育てや教育に関する悩みを先生に相談する形で進められたのですが、どの方の悩みにも共通して先生が答えられていた事は「親が迷っていると、子どもにそれが伝わってしまうのだ。」ということ。

「これでいいのだ。」と自信を持って肯定する事が大切であり、親が自分を責めることで子どもは却って萎縮してしまう、親が迷うことによって子どもまでも不安定にしてしまうというお話でした。

まずは「これだけできていればいい。」ということを決めて、それを欲張らないこと、それも大切だというお話もとても心に響くものでした。


初めてお会いした子安先生は、一人ひとりの質問を親身に聞いた上で共感してくださり、スパッと何でもはっきりおっしゃる気持ちのよい方でした。私もユズの人見知りのことや母親にベッタリなことをこのまま見守っていてもよいのかという内容の相談をしたのですが、「2歳の子どもならそれで当たり前」と共感してくださり、「紙の上だけ見ると(始めに質問を紙に書いてお渡ししたので)、教育意識過剰な母親って感じがするわよ。」とズバっと斬られ、でもそう言われたことで逆に、今まで私はユズを『腫れ物を触るように』扱ってきたのかなぁ、と気づくことができました。

子安先生は、「シュタイナー的に〜」というより「同じひとりの母親として」というスタンスで色々話してくださり、「どんな親でもその教育に対して、必ず子どもに強く反抗されるときがくる」というお話を聞いて、少し勇気付けられ、そういえば子安先生も思春期の頃のフミさん(娘さん)にシュタイナー教育のことに関しても随分反発されたという内容のことを著書に書かれていたなぁなんて思い出していました。そして、私自身もそうだった…。

この後の『あしたの国』に関する子安先生の講演も聞きたかったのだけれど、さすがにユズが飽きてしまい、会場を後にしました。



少し歩いたところに、南港を見渡せる大きな公園があり、そこで行き交う船やカモメたちを眺めながらボーっと過ごしました。

子どもは親の思考・感情をストレートに吸収していると頭では分かってはいるけど、理想的な状態を保つのは結構難しいのよね〜、と思う反面、自分を肯定することのできる人ってやっぱり子どもものびのび育っているよなぁと私の周りの素敵な人たちを思い浮かべてみた。自分をきちんと肯定できないでいると、自分に足りないものをいつの間にか子どもに託してしまったりするのかもしれない。
周りの意見に左右されたり、小さいことに捉われたりせずに自分の思いや直感をまっすぐ貫いていけるようになりたい…。それは子育てにおいても自分自身の生き方においても。

「子育て」とは言うけれど、結局それは子どもの姿を通して、自分自身と向き合うこと、そして親も子どもに育てられているんだなぁなんて、静かに揺れる水面を見つめながらしみじみ実感した一日でした。



「シュタイナーの世界」展の詳細は会場の「ふれあい港館」HPからご覧になれます。秋には東京、千葉でも開催が予定されているそうですよ!

2005年08月18日

昔は良かった…!?

このところ家のおもちゃが登場する出番(と言ってもおもちゃはそんなにたくさんある訳でもないのだけれど)がめっきり減ってきました。

もっぱら家事を遊びとして一緒に過ごす1日…。

掃除のときはハタキを片手にホコリを払ったり、小さな箒とチリトリでベランダを掃いたり、洗濯のときは一緒に並んでピンチハンガーに干したり(これがことの他楽しいようで、ふと気づくと乾いてたたんである洗濯物が再び干されていることも!)、それから料理になると、俄然張りきって手に入れたばかりの小さな包丁で(←日記の方にアップしました)一緒に野菜を切ったり。

気になることは、外遊び。
ユズは本当に家が大好きで、用事があっても出かけるように持って行くのにひと苦労。
去年は暑くても寒くても通っていた公園にも全く行きたがらなくなってしまった。おそらく誰か遊んでいて自分のおもちゃを取られたりするのがイヤなのでしょう。こんなことでは生活にメリハリもないし、兄弟姉妹のいないユズにとって他の子どもと接する機会がますます減ってしまう…。でも、こればかりは強制できるものではないし、ただ彼女の成長を見守るしかないのかなぁ。


まだ、夏本番になる前、子どもの遊具など一切置いていない、ただ緑と空と宮殿の後が残ってるだけの場所へ二人で遊びに行ってみたことがありました。ユズはこのだだっ広い空間を見るなり、私のことなどお構いなしにどんどん歩いていって(いつもは抱っこばかりなのに)、小石を拾ってはそれを放ってみたり、坂から転がして遊んだり、宮殿の柱だったところをピョンピョン飛んで渡ってみたり、鳥のさえずりを聞いてはその場所を確かめようとしたり…随分飽きずに長いこと遊んでいました。子どもの遊ぶ場所と言えば、ついカラフルで楽しい遊具がたくさん置いてある公園が思い浮かんでしまうのだけれど、ある程度遊び方の決まったおもちゃや遊具より、大人にとっては何もないように見えるところでも、子どもにとってはむしろイマジネーションを広げて自分で遊びを作り出したり、自然の中に新しい発見をしたりすることがこの上なく楽しいのだろうなぁと今更ながらハッとさせられた出来事でした。


シュタイナー教育の実践書に書かれている、例えば「子どもの想像力を大切に」とか「自然素材に溢れた環境づくり」というのは、昔は敢えて語られるようなことではなかったのだろうなぁと思う。物が少なかった時代には、子どもたちは教えられなくても、想像力を駆使して自分たちで勝手に遊びを考え出したり、豊かに残る自然の中で感受性を育てていくこともできただろうし、異年齢の子ども集団の中で自然と社会のルールを身につけていくこともできただろうし…。食べるものだってそうだと思う。その土地で取れた穀物や野菜を家庭で料理して食べることで自然に健康な心と身体を作っていくことができたはず。

今のように親が子どもの育ちをサポートするためにあれこれ介入したり、子どもを「害となるもの」から守ってやるために「おおい」を作ることを意識しなくても、きっとのびのびと自分の中にある小さな芽を育んでいくことができたのだろうな…。(もちろん、今でもそんな昔ながらの生活を自然に実践されている方たちもいらっしゃるでしょうし、そういう場所も残っているのかもしれません。)


本当は「放っておいても子どもは勝手に育っていってくれる」とどーんと構えていたいけれど、大人にとっては便利になってありがたいことも、子どもにとって本当に必要なものがどんどん失われていってしまう気がして、それを子どもとの暮らしの中に取り戻さなくては!とつい力の入ってしまう私でした。


ただ…

子ども同士の社会の中で勝手に育って欲しいと思っても引っ込み思案でよう遊ばない娘、自然の中にたくさんの発見をして欲しいと思っても、超インドアの娘…なかなか親の思惑通りにはいかないものです。



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