2007年04月22日

入園しました

ユズが幼稚園に通いだし、今までより早寝早起きで毎日バタバタと過ごしております。

入園前に慣らし保育に何度か行った様子でも、ユズは私から全く離れられなくてお友達とも関われなかったので、きっと入園当初は泣いて大変なんだろうなぁと思っていたのですが、入園式の日からユズはぱっと親の手を離して一人で前の席に座り、そのままこちらを振り返ったりすることもなく教室に入っていったのでびっくり。入園後、2日目、3日目と別れ際に少し涙を見せたものの、その後は日に日に表情も柔らかくなり、降園後はその日のできごとをいろいろ話してくれるようになってきました。

なんだかんだ言いながらも、幼稚園入園をとても楽しみにしていたユズ。彼女なりにきっと色々決心もしていたのかも知れません。それでも、まだ慣れない集団生活で緊張や我慢できっといっぱいいっぱい…。なんと今日は寝しなになって、いたずらっぽくではあったけれど、やめたはずのおっぱいを飲みたいと言い出したのです。そういえば、義妹も幼稚園に入園したばかりの頃、哺乳瓶で牛乳を飲みたいと言ったとお義母さんが話していたのを思い出し、ユズに飲んでもいいよと言ってみました。でも、どうやらユズはもう飲み方を忘れてしまったみたいで、遠慮がちにちょこっとくわえてみただけでしたが、「これから幼稚園がお休みのときだけおっぱいを飲む」とのことでした。さてさて、どうなることやら。おっぱいって子どもにとって、そんなに偉大なものなのですね。

これから、行きつ戻りつしながらも、ゆっくり成長してね、急に成長しちゃうのはなんだか寂しいな、などとユズの居ないしんと静まり返った家で、かりんと二人そわそわと降園時間を待ちながら考えたりする今日この頃です。


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あっという間に散ってしまった桜を名残惜しんで、桜餅♪りんごジュースで炊いた道明寺にいちごで色をつけて、フルーティな和菓子になりました。

2007年04月02日

親子教室終了

2年間通った、シュタイナー教育の親子教室がとうとう終わってしまいました。

月1回だったけれど、親子ともども心がほっと和むとても温かな優しい時間を過ごさせて頂き、幸せでした。ライゲンのときの、まるで本当に歌の風景が目の前に広がっているかのような、子どもたちの生き生きとした表情、シンプルだけれど充実感に満たされる手仕事、先生お手製のおいしいおやつ、そして、いつも子どもたちが真剣なまなざしで聞き入っていた素語りをみつろうの練り香水の香りとともに思い出し、とても名残惜しい気分です。

子どもとの暮らしの中で心に留めておきたいこと、先生が話してくださったことは、本当に子どもが健やかに育つ上で大切にしなければと思えることばかりでした。シュタイナー教育が随分広まってきて、たとえばテレビを見せないとかプラスチックのおもちゃを与えないとか表面的、断片的なことを取り入れることがどうしても先行してしまいがちですが、どうしてそうするのか、その裏にある子どもの発達の過程を知って、では自分の家庭では何を優先に何を大事にしていくのかを少し立ち止まって意識できるようになったことはとても有意義でした。

先生がいつもおっしゃっることの行間には必ず「自分で考える」ということが含まれていたように思います。『シュタイナー教育は人を批判したり見下したりするための手段になってはならない』、本当にそうだと思います。「こうしてはならない」「こうするべき」と単に○×方式の子育てではなくて、子どもにとって心地よい環境を作りだすために何を自分は選んでいけばいいのか、そんな指針が得られた2年間でした。現実問題、実践が難しいことも色々あるのだけれど、これからも、周囲と歩調を合わせながら考え選んで大らかに子育てしていけたら、と思っています。


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★久々にお家でにじみ絵。ユズは何かを描こうというよりも、できた絵を見立てて遊ぶのが楽しいようです。

2006年12月30日

3ヶ月を過ぎて

かりんは3ヶ月を過ぎて少しずつご機嫌に過ごす時間が増えてきました。とは言え、まだカンガルーみたいに一日の大半を抱っこしたまま過ごしていて、もうすっかりそれが普通のことになってしまいました(笑)。

それでも、子どもが2人になったから大変というよりは赤ちゃんとの生活の忙しさがあるだけで、4歳離れるとユズは自分のことは自分で出来るし、かりんがぐずっているときや家事をしているときもユズはひたすら自分の世界に入っておままごとをしたり、誰かになりきってお話していたり…。ユズの相手を存分にしてあげられない時申し訳なく思ったりもするのだけど、そうやって想像の世界に浸りきることも彼女の心の糧となっているのかもと思えば何だか救われる気がします。

甘えてばかりだったユズが本当にしっかりして見える今日この頃。かりんが眠っていると甘えに来たりはするのだけど、あんまりいい子だと何か我慢しているのではないかと心配したりして…。


今日は、前々からユズに作ってあげようと思っていたお人形用のスリングを作りました。

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一見リネンのように見えるこの生地は、実はかりんから拝借したサラシのおむつ!大きさがちょうどよさそうだったので、コーヒー染めをしてストラップをつけて出来上がり〜。ユズが一番気に入っているぬいぐるみを嬉しそうに抱っこしています。この子は大きさがちょうどかりんと同じくらいなので、毎日かりんのお洋服やおむつで着せ替え人形状態(笑)。


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今日はとてもキレイな空でした。「お空にお船が浮かんでる〜」とユズ。家の中からでも子どもってすぐにこういうことに気づくのですよね。


いよいよ今年も終わりですね。今年も1年間いろいろな方とお話できて楽しかったです。どうぞよいお年をお迎えください♪

2006年11月29日

幼稚園が決まりました

去年いろいろ考えて、2年保育に決めた幼稚園でしたが、来春からユズが通う幼稚園、ようやく決まりました。

自宅から頑張れば自転車でも通えるくらいの距離のところにある小さなキリスト教系の幼稚園。

子どもの人数が少ない割にはベテランの先生方がたくさんいらっしゃり、例えば、お誕生日会は子ども一人ひとりの誕生日にきちんと祝ってくださるような、とても家庭的で暖かい雰囲気の園です。家庭での時間を大切にという主旨から保育時間も短めです。

もっと近かったら通わせたかったなぁと思うシュタイナー園があったのですが、車で40分かかるのは、きっと子どもには大きな負担になるだろうと思い、諦めました。シュタイナー教育をかじり始めたころは、あちらこちらの幼稚園を見に行っても、表面的なことばかり見ていたような気がします。でも、少ーしずつ(本当にゆっくりですが)学んでいくうちにやっぱり大切なのは、『心』だなぁってしみじみ思えるようになりました。当たり前のようだけど、以前の私にはなかなか気づけなかったことのような気がします。そして、どこの園に行かせるかということよりもっと大切なのは私自身...。まだまだ親として人としてたくさんたくさん成長しなければ。

春からユズも私も新たな世界が開けると思うと、とても楽しみです。


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ついたて(作り方はコチラを参照)とカーテンを作って前から作ってみたかったそれらしきコーナーが完成しました〜。ユズはここで毎日お店屋さんごっこをしています。

2006年01月08日

大村祐子さんの講演会に行ってきました

もうかれこれ1ヶ月近く前のことになってしまうのですが、せっかく足を運んだ講演会。記録を残しておきたいと思います。

シュタイナー人智学を実践する共同体、ひびきの村の主催者である大村祐子さんにお会いするのはこの日が初めてで、とても楽しみにしていました。『競争社会におけるシュタイナー教育の可能性を考える』というタイトルの今回の大まかな講演内容は以下のようなものでした。


競争社会のひずみから起きた事件の象徴として、マンションの耐震構造偽装問題や広島の少1殺害事件がある。競争社会というのは「より良いものを より優れたものを より早く」作ろうとするためにあるものの欠点や弱点を発見して克服するという特性があり、人は人と競い合うとき、自分の正当性を認めてもらいたいがために人を貶めようとしたり陥れようとしたりする気持ちが湧いてきて、結果的に邪悪なことをしてしまったりするものだ。

競争というものは、勝つことによって人より自分は優れているのだというおごる気持ちが人をさげすむ気持ちに変わり、慢心するが結局のところ、それは孤独や不安、不信感がついて回る喜びでしかない。負けた側は自信を失い、自分への不信感、勝った人への恨み、憤り、嫉妬がうずまくことになる。戦争などに象徴されるように、この世の困難や悲しみ、苦しみはすべて人よりもよりよくなりたい、勝ちたいという思いによるものである。そんな大人たちの態度が子どもたちのあり方にそのまま影響を及ぼすものだ。人より優れていなければならないという大人からのプレシャーを感じ、人のことを考える余裕を失くしてしまう。

それを克服する力がシュタイナー教育にはある。

シュタイナー教育では子どもたちにテストをしたり競争させたりしないため、学ぶことは人と競うことではなく、感動を教師と子どもが分け合うことで子どもは世界に関心を持つことが出来るようになる。人間としてしっかりと立つ事、自分の中に調和を作ることを目指している。

例えば、算数の授業で計算は何のためにするのか。シュタイナー学校では、計算とは「等しいものを探すこと」であり、平衡感覚が育っていないと計算をきちんとすることができない。そのため計算ができない子どもは計算練習をするのではなく、まず体を使ってバランス感覚を伸ばす事をする。また、「等しい」という感覚を育てる算数の授業は、人と人が違いがあっても互いに平等であること、互いに愛し合い、支え合うことで進化しようとする道徳感を身につけることでもある。地理の授業では、気候や環境によって人が作り上げる文化や文明が違うことを学び、他者のためにお互いに足りないものを交換することによって共に生きていることを学ぶ。

大人に関することとして、シュタイナーの思想を実践するのがひびきの村のような共同体であり、人が共に暮らし存続して行くためには自分さえよければいいというエゴイズムに支えられた社会ではなく、物を存在させている精神の力を自然や宇宙の中に見出し、自分や他者の弱さや傷を受け入れ精神の進化を遂げることが必要である。例えば共同体の中では自分の成果を人と分け合うことによって成り立っている(たくさん仕事をした人、よりよい仕事をした人がたくさん報酬をもらうという仕組みを取っていない)。

私達大人がこのような意志を持つことによって、少しずつ社会を変えていくことはできないだろうか。


大村さんが最後に残された言葉…『共同体の中で人が共に働くとき、私自身の成果を主張するばかりでなく仲間に譲れば譲るほど私の願いは更に発展するであろう。』※うろ覚えです



競争するということはすべて『悪』なのだろうか?まだまだシュタイナーの思想に疎い私には正直言って、大村さんのお話を聞いても確信を持つことはできませんでした。「切磋琢磨」という言葉もあるようにある程度人と競い合って自分を高めていくことも悪いことではないような…物々交換で世の中が成り立っていた縄文時代のままならよかったとも思えないし…。でも、「売れさえすればよい」というような経済至上主義の世の中はなんとかなならないものだろうか、とは思う。競争の行き着く先は結局はよい結果をもたらさないということになるのでしょうか。

競争社会の抱える問題というのは、子どもにとっても大きい問題だと自分自身の経験を通しても感じることです。人よりよい成績を取って親の期待に応えることが自分の喜びになっていた学生時代。大きなプレッシャーのもとで人との競争に明け暮れていた時間に失ったものは、今となっては取り戻せない大切なものだったような気がしてなりません。自分の中に「芯」が出来上がっていないのはそのせいだけではないかも知れないけれど、未だに自分の考え、価値感などが周りの人と比べたり、周りの人の評価を気にしたり、すごく相対的なところから決まってしまうクセは抜けていないような気がする。競争に勝つための手段でしかなかった勉強は決して楽しいものではなかったし、今となってはそうして得た知識のほとんどがどこかへ消え去ってしまっているのも虚しいばかりです。

9年間の義務教育期間(いや、今後は10年か11年になるのかな?)、自分の子には、もっと学ぶことに喜びを感じられるような教育を与えたいと願います。学校の成績の良し悪しで人の価値が決まる訳ではないという態度をきっちり示したいと思う。そんなことにこだわらずに心と体と結びついた生きた知識を身につけて、自分の生きる道を切り開いていって欲しい…。自分自身に確信を持てる人になって欲しいと思う。そういう意味ではシュタイナー学校のカリキュラム自体はやっぱり魅力的だなぁと思うのでした。



この講演会の主催者である『ほんの木』から新刊が出ているようですよ。

2006年01月03日

幼稚園を義務教育化!?

1月1日付読売新聞のニュースの記事です。

幼稚園から義務教育、延長幅1〜2年…政府・与党方針
 
政府・与党は、小中学校の9年間と定められている義務教育に幼稚園などの幼児教育を加え、期間を10〜11年間程度に延長する方針を固めた。

 幼稚園―小学校の区分による環境の変化が学力のばらつきを招いているため、幼稚園を義務教育に含め、一貫した学習体系を構築するのが狙いだ。

 幼児教育を無償にすることで、少子化対策を強化する面もある。1月に召集される通常国会に提出する予定の教育基本法改正案で義務教育の9年間規定を削除し、2009年度以降の義務教育延長の実現を目指す。

 義務教育をめぐっては、近年、小学校低学年で、集団生活になじめない児童が騒いで授業が混乱する「小1問題」が起きている。幼稚園―小学校―中学校と進学するにつれ、指導の内容、難易度などが大きく変わり、成績格差が拡大する問題も指摘されている。

 このため、政府・与党は幼稚園などの幼児教育を含めた義務教育制度の見直し論議に入っている。

 自民党は、05年9月の衆院選の政権公約(マニフェスト)に、「幼児教育の無償化」を盛り込んだ。1月にも、政調会の下に「幼児教育小委員会」を設置し、無償化の具体策として、義務教育延長を議論する。そのうえで、延長に向けた第1段階として、教育基本法4条で定められている義務教育の9年間という期間を削除する考えだ。

 与党教育基本法検討会の議論の中で、公明党もこうした考え方を大筋で了承している。

 自民党文教制度調査会幹部は、昨今の児童・生徒の学力低下を背景に、「諸外国も義務教育期間を延ばす方向だ。日本も真剣に検討すべき時期にある」と主張している。諸外国では、例えば、英国は5歳から11年間を義務教育とし、2000年から5歳未満を対象に無償の保育学校を拡充。フランスも1989年から公立幼稚園を無償にしている。

 政府・与党は、今後、幼児教育をどういう形で義務教育に取り込むのか、調整を図ることにしている。

 中央教育審議会(文部科学相の諮問機関、鳥居泰彦会長)では、05年1月にまとめた幼児教育に関する答申で、「幼小一貫教育の検討」を掲げた。政府・与党内には、このほか、〈1〉幼稚園の1〜2年保育を義務教育とする〈2〉義務教育の枠内で、「幼小一貫校」を創設し、普通の幼稚園か一貫校かを選べるようにする――などの案が浮上している。



幼稚園まで『義務』になるだなんて…。なんだか子どもにとって息苦しい世の中になってしまうような気がする。今は習い事がある子も多いようだけど、せめて学校に上がるまでの間ぐらい、他の子どもと能力を比べたり競ったりせずに、子ども時代にしかできないことをゆっくり満喫させてあげたいなぁと思うのに。義務教育化することで既存の私立の幼稚園の教育内容もある程度国によって定められることを考えると、知的教育を一切しないシュタイナー園などはどうなってしまうのかと心配になる。たとえば少人数で家庭的な雰囲気が魅力の親達で運営しているような園は国から認可されなければ、学校と同じように公立の幼稚園に籍だけ置いて通うということになるのかなぁ。自主保育も難しくなりそう。

幼児教育を無償化することが少子化対策につながるのかどうかもいささか疑問を感じる。むしろ私の周りでは子どもを少なくして、よりよい教育環境を、と望む人も多いように思う。幼稚園に関して、学費が安いことに越したことはないけれど、それ以上に求められているのはやはり『質』なのではないでしょうか。子どもを生むことを諦めなければならない背景はいろいろあるだろうけど、そんな細部を変えたくらいで『対策』になるとはとても思えない。

『集団生活が上手くできない子』の問題は、早くから集団生活を義務化すれば本当に解決するのだろうか?もっと根は深いような気がするのだけれど…。

少し前までは「ゆとり教育」なんて言っていたのに、今度は学力低下が問題になってこんな小さな子どもたちまで管理しようとする国のいきあたりばったりな方針にとても不信感を抱いてしまいます。

2009年度以降の実現を目指す、ということはこれから生まれてくる子どもたちはみんな「幼稚園は必ず行かなければならないところ」になる訳ですよね。我が家も他人事ではありません…。

2005年11月05日

松井るり子さんのお話を聞いてきました

松井るり子さんのお話を聞きに行ってきました。小さな絵本のお店で開かれたアットホームなお話会。松井さんの近著にまつわるお話だということを事前に聞いていたので、シュタイナー関連のお話はあまり期待できないかなぁと思いつつも、初めてお目にかかる松井さんがどんな方なのかしら?と期待に胸膨らませておりました。

『うたにつなぐ絵本の世界』というタイトルどおり、松井さんが子育てを通して出合われた、たくさんの素敵なペンタトニックの歌と絵本の世界を満喫できた2時間。3人のお子さん達と本当に穏やかに子育てを楽しんでこられたんだなぁということが伝わってきました。子どもの未熟なゆえの可愛らしさ、一生懸命困難を乗り越えようとする健気さ…私も暖かく見守ってあげたい。それから、歌ももっと自然に日常に取り入れられたらなぁとそんなことを感じました。

実際にお目にかかった松井さんは、ふわ〜っと柔らかい印象の可憐な少女のような、それでいて母性に溢れるお方でした…。お話を聞きに来たみなさんへ、と手作りのショートブレッドのおみやげまで頂いて、すっかり癒されて家路に着きました。


うまやのクリスマス
マーガレット・ワイズ ブラウン Margaret Wise Brown Barbara Cooney
4887500564


お話の中でも紹介された松井さんが翻訳されたというこの絵本、今年のクリスマスはこれをユズに読んであげたいなぁと思っています。

2005年10月06日

幼稚園のこと

幼稚園、3年保育にするなら今年申し込みをするはずでした。

ウチの近所は公立は2年保育のみ。去年の時点では私立の3年保育も考えて、随分あちこち気合いを入れて(?)見て回りました。幼稚園もそれぞれの方針によって色々…。しつけをきっちりする幼稚園、習い事をしなくても済むくらい英語・音楽・体育など教えてくれる幼稚園、子どもの主体性に任せて自由に遊ぶことを主眼においた幼稚園などなど。シュタイナー園もいくつか回ってみました。シュタイナー園はどこも実際の保育の様子を見ることが出来ず、お部屋の様子を見学させていただくだけだったのだけれど、やはり他の幼稚園とは一線を画す、暖かく芸術的に彩られたお部屋の雰囲気にはうっとりしてしまいました。

幼稚園を選ぶときの条件として考えていたのは、ユズの性格を考えると、マイペースに遊ぶ時間のある幼稚園で、できたら少人数で、お外で元気に遊ぶだけではなくて、室内遊びも充実しているところ。それから敢えて送迎バスなし、給食なしという方針を取っている所がいいなぁなんて考えていたのです(条件多すぎ!?)。でも、あちこち回ってみると、結局子どもを育ててくれるのは幼稚園ではなく、やっぱり家庭なのかなぁという思いが強くなりました。去年見学してよい印象を持っていたある園で、園長先生が『子どもの遊びには想像力を働かせることのできるしかけが必要』というお話をされていて、園庭も裏の方に森のようなスペースがあり、トンネルがあったり探検できるような工夫がされていて魅力的に見えたのだけれど、よくよく子ども達を見てみると、みんなそこでは遊ばずにブランコや滑り台などの遊具で遊んでいる。いくら良い環境が整えられていてもそれを活かせるかどうかは、やっぱり子どもがそれまでどんな風に育ってきたかということにもかかっているのかも知れないなぁなんて思ったのです(まぁ、そのときたまたまそこで遊んでいなかっただけかも知れないけれど)。

よくよく考えてみれば我が家が入れたいと思う幼稚園って家庭の延長のようなところ。ユズが現時点でお友達と遊ぶことにもっと興味を示していたら、3年保育を選んだかもしれないけれど、まだお友達と遊ぶより私達両親やおじいちゃんおばあちゃん達と一緒に過ごす方が安心するみたい…。それならば、敢えて一歩踏み出させてやるのもひとつのきっかけかなのかも知れないけれど、焦らずあと一年は家庭生活を中心にマイペースで子どもの集まるところへ出かけたり、様々な活動に参加したり、お家でモノ作りを楽しんだりしたいなぁと思っています。

来年はどうなることやら…。親達で運営する自主保育にも関心が湧いています。



2005年08月21日

「シュタイナーの世界」展に行ってきました。

大阪南港で20日〜28日まで開催されている「シュタイナーの世界」展に行ってきました。

期間中は展示の他、人形劇、羊毛の手仕事のワークショップ、オイリュトミーデモ公演、エポック授業体験、シュタイナー教育関係者の方の講演などが開催されます。

期間中を通して無料の公開教育相談というものがあり、初日の20日は子安美知子さんがいらっしゃるということで、早速昨日足を運んできました。

このイベントはあまり広まっていないのか、こんなまたとないチャンスに集まったのは10人程度。1時間ほどの間でしたが、小さなスペースで和気あいあいとしたムードの中、お話を伺うことができました。

参加したそれぞれの方が子育てや教育に関する悩みを先生に相談する形で進められたのですが、どの方の悩みにも共通して先生が答えられていた事は「親が迷っていると、子どもにそれが伝わってしまうのだ。」ということ。

「これでいいのだ。」と自信を持って肯定する事が大切であり、親が自分を責めることで子どもは却って萎縮してしまう、親が迷うことによって子どもまでも不安定にしてしまうというお話でした。

まずは「これだけできていればいい。」ということを決めて、それを欲張らないこと、それも大切だというお話もとても心に響くものでした。


初めてお会いした子安先生は、一人ひとりの質問を親身に聞いた上で共感してくださり、スパッと何でもはっきりおっしゃる気持ちのよい方でした。私もユズの人見知りのことや母親にベッタリなことをこのまま見守っていてもよいのかという内容の相談をしたのですが、「2歳の子どもならそれで当たり前」と共感してくださり、「紙の上だけ見ると(始めに質問を紙に書いてお渡ししたので)、教育意識過剰な母親って感じがするわよ。」とズバっと斬られ、でもそう言われたことで逆に、今まで私はユズを『腫れ物を触るように』扱ってきたのかなぁ、と気づくことができました。

子安先生は、「シュタイナー的に〜」というより「同じひとりの母親として」というスタンスで色々話してくださり、「どんな親でもその教育に対して、必ず子どもに強く反抗されるときがくる」というお話を聞いて、少し勇気付けられ、そういえば子安先生も思春期の頃のフミさん(娘さん)にシュタイナー教育のことに関しても随分反発されたという内容のことを著書に書かれていたなぁなんて思い出していました。そして、私自身もそうだった…。

この後の『あしたの国』に関する子安先生の講演も聞きたかったのだけれど、さすがにユズが飽きてしまい、会場を後にしました。



少し歩いたところに、南港を見渡せる大きな公園があり、そこで行き交う船やカモメたちを眺めながらボーっと過ごしました。

子どもは親の思考・感情をストレートに吸収していると頭では分かってはいるけど、理想的な状態を保つのは結構難しいのよね〜、と思う反面、自分を肯定することのできる人ってやっぱり子どもものびのび育っているよなぁと私の周りの素敵な人たちを思い浮かべてみた。自分をきちんと肯定できないでいると、自分に足りないものをいつの間にか子どもに託してしまったりするのかもしれない。
周りの意見に左右されたり、小さいことに捉われたりせずに自分の思いや直感をまっすぐ貫いていけるようになりたい…。それは子育てにおいても自分自身の生き方においても。

「子育て」とは言うけれど、結局それは子どもの姿を通して、自分自身と向き合うこと、そして親も子どもに育てられているんだなぁなんて、静かに揺れる水面を見つめながらしみじみ実感した一日でした。



「シュタイナーの世界」展の詳細は会場の「ふれあい港館」HPからご覧になれます。秋には東京、千葉でも開催が予定されているそうですよ!

2005年08月18日

昔は良かった…!?

このところ家のおもちゃが登場する出番(と言ってもおもちゃはそんなにたくさんある訳でもないのだけれど)がめっきり減ってきました。

もっぱら家事を遊びとして一緒に過ごす1日…。

掃除のときはハタキを片手にホコリを払ったり、小さな箒とチリトリでベランダを掃いたり、洗濯のときは一緒に並んでピンチハンガーに干したり(これがことの他楽しいようで、ふと気づくと乾いてたたんである洗濯物が再び干されていることも!)、それから料理になると、俄然張りきって手に入れたばかりの小さな包丁で(←日記の方にアップしました)一緒に野菜を切ったり。

気になることは、外遊び。
ユズは本当に家が大好きで、用事があっても出かけるように持って行くのにひと苦労。
去年は暑くても寒くても通っていた公園にも全く行きたがらなくなってしまった。おそらく誰か遊んでいて自分のおもちゃを取られたりするのがイヤなのでしょう。こんなことでは生活にメリハリもないし、兄弟姉妹のいないユズにとって他の子どもと接する機会がますます減ってしまう…。でも、こればかりは強制できるものではないし、ただ彼女の成長を見守るしかないのかなぁ。


まだ、夏本番になる前、子どもの遊具など一切置いていない、ただ緑と空と宮殿の後が残ってるだけの場所へ二人で遊びに行ってみたことがありました。ユズはこのだだっ広い空間を見るなり、私のことなどお構いなしにどんどん歩いていって(いつもは抱っこばかりなのに)、小石を拾ってはそれを放ってみたり、坂から転がして遊んだり、宮殿の柱だったところをピョンピョン飛んで渡ってみたり、鳥のさえずりを聞いてはその場所を確かめようとしたり…随分飽きずに長いこと遊んでいました。子どもの遊ぶ場所と言えば、ついカラフルで楽しい遊具がたくさん置いてある公園が思い浮かんでしまうのだけれど、ある程度遊び方の決まったおもちゃや遊具より、大人にとっては何もないように見えるところでも、子どもにとってはむしろイマジネーションを広げて自分で遊びを作り出したり、自然の中に新しい発見をしたりすることがこの上なく楽しいのだろうなぁと今更ながらハッとさせられた出来事でした。


シュタイナー教育の実践書に書かれている、例えば「子どもの想像力を大切に」とか「自然素材に溢れた環境づくり」というのは、昔は敢えて語られるようなことではなかったのだろうなぁと思う。物が少なかった時代には、子どもたちは教えられなくても、想像力を駆使して自分たちで勝手に遊びを考え出したり、豊かに残る自然の中で感受性を育てていくこともできただろうし、異年齢の子ども集団の中で自然と社会のルールを身につけていくこともできただろうし…。食べるものだってそうだと思う。その土地で取れた穀物や野菜を家庭で料理して食べることで自然に健康な心と身体を作っていくことができたはず。

今のように親が子どもの育ちをサポートするためにあれこれ介入したり、子どもを「害となるもの」から守ってやるために「おおい」を作ることを意識しなくても、きっとのびのびと自分の中にある小さな芽を育んでいくことができたのだろうな…。(もちろん、今でもそんな昔ながらの生活を自然に実践されている方たちもいらっしゃるでしょうし、そういう場所も残っているのかもしれません。)


本当は「放っておいても子どもは勝手に育っていってくれる」とどーんと構えていたいけれど、大人にとっては便利になってありがたいことも、子どもにとって本当に必要なものがどんどん失われていってしまう気がして、それを子どもとの暮らしの中に取り戻さなくては!とつい力の入ってしまう私でした。


ただ…

子ども同士の社会の中で勝手に育って欲しいと思っても引っ込み思案でよう遊ばない娘、自然の中にたくさんの発見をして欲しいと思っても、超インドアの娘…なかなか親の思惑通りにはいかないものです。



2005年07月31日

だだこねさん

「魔の2歳児」、パワーアップする一方の今日この頃。

『子どもは育てたように育つ』なんて言うけれど、ホントにそのとおりだな〜、と実感しております…、トホホ。

ユズはもともとこだわりの強い子だなぁというのはあったけれど、それがどんどん強くなっているような。それが聞いてあげたくても不可能なことだったり、大人にとってかなり不都合なことだったりすると、どうしたらいいのか困ってしまう…。

先日も、一緒に作ったアイスクリームを食べるといって、二人でおやつをした後、アイスクリームを冷凍庫にしまわずに出して置くと言う(大事なものは常に自分の側に置いておきたいタイプなんです)。溶けちゃうからしまわないとダメやでー、と言ってもそんな理屈はユズの耳には入らない様子。そんな時、ユズの好きなようにさせて溶けるがままに放って置いて、「ほら溶けちゃったやろ。」と見せてあげたほうが納得するのかもしれないけれど、頑固に泣き喚くユズを見て、そんな気持ちの余裕をなくしてイライラ顔になってしまう私…。

昨日は昨日でユズがおっぱいを飲むときに着るお気に入りのTシャツ(なぜかこれを私が着ないとダメ)をこっそり洗濯したら、ユズは怒って、まだ乾いていないそのTシャツを着てくれと泣き喚く…。

ものの置き場所なども彼女の中ですべて決まっているのか、それを変えると怒られたり、彼女のこだわりを数え上げたらキリがないほど。毎日こんな調子で1日1回はすさまじい勢いで泣き喚くユズと接していて、ちょっと疲れがたまってきちゃっています。でも、いつも説得しきれず、どうしようか考えている間にユズは散々泣き喚いて、結局私もそれに根負けしてしまいユズのちょっとよく分からないこだわりに従ってしまい、これでよかったのだろうかって考える。思い通りにいかないときの最後の逃げ道がおっぱいなのも何だか腑に落ちないような…。肝心のユズは自分の主張が通ったら、もうケロっとして、イライラ顔の私に気を使って、面白いことをして笑わせようとしたりしているのを見ると、自分の度量のなさに情けなくなってしまいます。


これも、子どものありのままを受け入れて、意志を尊重してきた結果なのかなぁ…。ちょっぴり自信をなくし気味です。人に迷惑をかけるようなことには、きっぱりストップをかけたいと思ってはいるけれど、内弁慶のユズは、外でだだをこねるということはなく、私の前だけ。それを分かってやっているのならば、可能な限り理解してあげたいと思うのだけど、甘いのでしょうか…。悩みます。

大人から見てだだをこねているようにしか見えないことでも、子どもには何か考えがあるのかなぁと思うと何だか無下に否定できない。でも、そのすべてをおおらかに受け入れてあげることができない今は、自分が理想だと信じてやってきた子どもとの接し方ともう一度じっくり向きあうべき時なのでしょうか。

こんなとき大人との関係だけでなく兄弟、姉妹がいて子ども同士の社会の中で何かを学ぶことができたら、ユズにとってももっとプラスになるんだろうなぁとも思ったり。私に余裕がないのも一人目の育児ということもあるかも知れないですね。

2005年06月19日

わらべ歌教室へ

今年は念願のわらべ歌教室に参加できることになりました。
「教室」といってもそんなに堅苦しいものではなくて、大和に歌い継がれてきたわらべ歌をみんなで楽しみましょうというものです。


わらべ歌の楽しさを知ったのは、はじめは阿部ヤヱさんの本がきっかけでした。遠野に伝わるわらべ歌の暖かさやわらべ歌を通した子育ての知恵が興味深くて、ユズが赤ちゃんの頃から楽しんできました。特に子どもからの反応が少ない赤ちゃんの時期、何を語りかけようかなぁ、なんて考えてしまうときには、わらべ歌で遊ぶことが多かったなぁ…。でも、遠野の言葉が私にとってはなんとなくしっくりこないものもあり(それでも子どもにとっては方言など関係なくしっくりくるそうなのですが)、千葉の常盤平で幼児教室をなさっている小林衛己子さんのCD(歌を覚えるために)もよく活用しました。


大和のわらべ歌があると知って、奈良に生まれ育った人でも大和言葉を話す人は減ってきているようだし、ましてや関東出身の私にはどれが大和言葉なのか見当がつかないので、こんな機会に触れることが出来たら私も嬉しいと思っていたのですが、去年はユズの人見知りが激しくて、とても集団の中に入ることはできないだろうと断念したのです。人見知りが少しよくなってきた今年は周りの子ども達に興味を示したり、恥ずかしがったりしながらも楽しく参加しています。


日本のわらべ歌はペンタトニック(過去ログ参照)のものが多く、シュタイナー教育のライゲンにも取り入れられたりしています。ユズも一度ライゲンを体験してから、すっかり気に入って家でも私と手を繋いでグルグル回りながら「ひらいた ひらいた」などを歌ってとリクエストされていたので、タイミング的にもちょうどよかったかな…。


この教室では一人ひとりの名前も大和言葉のアクセントを使い、ペンタトニック音階で呼んでくださいます。


大和のわらべ歌には「奈良の大仏さん」の歌や、阿部ヤヱさんの本にも出てくる「だるまさん」の歌とよく似た鬼ごっこの歌、「こんこんさん(きつね)」などもあり、これから覚えてユズと遊ぶのが楽しみです。


【覚えたてのわらべ歌】
鬼ごっこの歌→「こんこんさん、こんこんさん、遊びましょうかいな」 「今寝ているわいな」(今起きたわいな…と続いて最後に今行くわいな!と追いかける)
鞠つきなどをするときの歌→「えんどう豆、こまめ、味見てかいなはれ

標準語(いわゆる関東弁)で育った私には、大和言葉は語尾がとても柔らかく、心地よく響きます。小さな赤ちゃんの頃は、向き合ったり抱っこしたりして触れ合い遊びができ、大きくなってくると、集団で遊べて自然とルールを身につけていくことができるわらべ歌の魅力は奥深いものがあります。



※各地のわらべ歌や伝承遊びのことが詳しく載っているサイトがありました。
小林衛己子さんの「まめっちょ」のページにも毎月のわらべ歌が掲載されます♪



2005年06月14日

夫婦それぞれの教育観

子どもの教育に対する考え方に関しては、夫と私の間でそうかけ離れているわけではないのですが、夫ははじめはシュタイナー教育のことをとても怪しんでいました(笑)。シュタイナー教育に関して、シュタイナー本人の書いたものではなく(とても難解なイメージがあり、まだ踏み込むきっかけがありません)、実践者の考えを通したものであっても「子どもとはどういう存在なのか」ということを知るということは、子育てをしていく上で迷いが払拭されることもあるし、わが子を興味深く観察することもできる。「親はどういう人間であるべきか」「現代の環境から子どもを守るためには?」そんな意見もすごく考えさせられる…。そんなこともあり、やっぱり私は夫との会話の中についついシュタイナー教育の考えを織り交ぜてしまうのです。

最初のころは、夫は私が何かにつけて「シュタイナー教育では…」というのが気に入らなかった様子。「自分達の子どものことが他人に分かってたまるか!」というようなことを言っていました。

それでも、夫も公立の学校に対する漠然とした不安はあるため、そんなことから少しずつシュタイナー教育にも関心を持ってくれるようになってきました。本を読んだりはあまりしないけど、シュタイナー学校や幼稚園のイベントなどに一緒に参加したりするうちに、その雰囲気がユズの性格には合っているんじゃないかと感じているようです。


広瀬牧子さん(ご主人がシュタイナー人智学を専門にされている大学教授、「我が家のシュタイナー教育」等著者)のご家庭や吉良創先生(南沢シュタイナー子ども園教師、「シュタイナー教育のまなざし」等著者)のように父親が率先してシュタイナー教育を育児に取り入れてくれるような家庭も羨ましいけれど、「シュタイナー教育に全く興味がない」という人の全く違った角度からの意見を聞くのもなかなか新鮮で面白いなぁとも思います。夫はやはり「誰かの育児法」ではなく、あくまで自分達流にこだわりたい様子。私は、もちろん「親にしか分からないその子のこと」というのはあるけれど、新米母としてどういう風に子どもと接していけばいいか迷うときにヒントや指針は欲しいと思ってしまう。そんな私たち夫婦の考えの違いにはやっぱりこれまで過ごしてきた教育環境の違いというものも少なからずあるように感じてなりません。

2005年06月05日

見えない力

水からの伝言―世界初!!水の氷結結晶写真集 (Vol.2)
江本 勝
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この本、ご存知の方いらっしゃいますでしょうか?

水を入れた小瓶に様々な言葉を書いて貼ったり、音楽やお経を聞かせたりしたものを凍らせて、できた結晶を写真に残した作品で、プラスイメージの言葉や音楽、お経にはすごく美しい結晶が出来上がるのに、マイナスイメージの言葉を貼った水の結晶はきちんと形成されないのです。そして、人の体は70%が水でできている…。


シュタイナー教育やホメオパシーも突き詰めていくと、スピリチュアルなところにたどり着くようですが、私には霊とか魂とか前世とか…目に見えないものがなんとなくピンと来ないこともあります。頭が固いのかなぁ…。そういう話を聞くと、場合によっては身構えてしまうことも。友人達の中には、この世のものではないお方が見えたり、存在を感じたりする人が結構いたりもするのですが。


でも、目に見えない力というものは確かに存在しているとは思う。言葉にしなくても自分の心が相手に通じたり、言葉そのものが持つ波動のようなもの。言葉が通じなくてもなんとなく分かり合えたりすることってある。子どもと親の関係においてもそれは強く感じます。

そういう意味でこの写真集は純粋に「面白いなぁ〜」って思いました。「そんなに難しく理屈で考えようとしなくてもいいのかな…」と自分の中にある固い殻が少し柔らかくなったように思えた本でした。




2005年05月31日

本質に近づきたい!

今年に入ってから、自宅からそう遠くない場所で、シュタイナー教育に関心を持っていらっしゃるお母さん達の集まりがあることを知り、これからそんな活動のお仲間に加えていただけたら…と楽しみにしています。

シュタイナー人智学をきちんと勉強された方のお話を聞くと、やっぱり実践した方の本を読んでいるだけでは、私の場合、ホントに自己流であり、表面的にしか取り入れられていない部分も多いのだわと実感してしまいます。


エポックノート展に行ったときに私が感じた、「うまく想像・創造ができない子もいるのかも」という考えは、創作活動において結果を評価する日本の学校教育を受けてきた私のそのままの考えであることに気づいたのです。展覧会においては、やはり秀逸な作品が展示されているのかもしれないけれど、シュタイナー教育において、子ども達にとって創作活動は、その結果が目的なのではない、ということなのだと思うのです。創作活動を通して自分の内側を見つめる過程が子どもの力になっていくのだから…。

シュタイナー教育を実践された方の書物を通して、分かりやすい方法、例えばテレビを見せないとか子どもの過ごす環境に気を配るとか、大人の模倣を通して物事を伝えていくとかいうことから取り入れる毎日ですが、やはりシュタイナーの考える人間観というものをしっかりと理解しなくては本質的な部分が抜け落ちているのかもしれません。そのためにはまずは自分のことをもっとしっかりと見つめ直すことからはじめなくては。

シュタイナー教育は表面的なことだけを見れば、すごく特殊な教育という印象を受けることも多いのかもしれないけれど、実はその本質はごく普遍的なものであるように思います。だから、子育てにおいて迷うことも、『人間とは、人の発達段階とは』そんなお話を聞いているとなんだかす〜っと解決していくように思うのです。

ただ、問題は日本の学校教育にどっぷり浸かった私がどこまで実践していけるのかということなのですが…。
それにしても、これまで受けてきた教育の影響の大きさというものを改めて実感します。

2005年05月18日

エポックノート展に行ってきました。

京田辺シュタイナー学校の生徒の作品(主にエポックノート)を展示する『エポックノート展』が22日まで京田辺市立中央図書館内のギャラリーかんなびで開催されています(詳しくはこちら

シュタイナー教育独特の教育方法のひとつににエポック授業というものがあります。同じ教科内容を毎日連続して数週間集中して学ぶのですが(それが終わるとしばらくその教科は扱わず、いったん忘れることによって記憶の定着をはかるらしいのです)、シュタイナー学校には初めから教科書がないため、このエポック授業の中で子ども達が作るオリジナルの教科書がエポックノートなのです。

シュタイナー教育においては、7歳(歯が生え変わる頃)までは文字を教えないため、1年生はまず文字のエポック授業があるようで、ひらがなのなりたちを各々が想像した絵が描かれたものが印象深く(『て』の文字から「てんとうむし」を連想したものなどがありました)、ただの丸暗記ではなくて、こんな風にイメージから知識として取り入れられたらきっとその過程も楽しいだろうし、しっかりと記憶に残っていくんだろうなぁ…と思いました。

そこに展示された生徒の作品の数々…、パステル画やにじみ絵などもとても美しく、その空間はうっとりしてしまうようなものだったのですが、これは果たしてシュタイナー学校の生徒の正確な縮図なんだろうか?ということも、やっぱり頭の隅から離れませんでした。もしかしたら、その独特な雰囲気になじめない子もいたり、上手く想像・創造ができない子もいるのかもしれない…。実際に学校の授業の様子を見たり、子どもを入れてみたりしなければ分からないこともたくさんあるのかも。どんなことにもそういった一面はあるでしょうけど、シュタイナー教育はまだまだ日本においてはごく少数派だし(少数派が悪いという意味ではなくて、あとあとそれで子どもが苦労することになったら責任を感じるということ、特に日本においてはそういう可能性が高い気がするのです)、日本の文化と相容れない部分も自分の予想の範囲で考えられることもあり、そんなことを考えると、小学校以降は土曜学校やオイリュトミーなどの活動を部分的に取り入れていくというのでもいいのかもしれないなぁと思い始めています。公立の学校にも思うところは色々あるのですが…。


学校の内容についてはまだ不勉強な部分も多く、これから勉強しつつ考えるつもりでいます。

2005年05月12日

草木染めのプレイクロス

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シュタイナー教育独特とも言えるおもちゃのひとつにプレイクロス(遊び布)というものがあります。シルク、コットン、リネン、ウールなど様々な天然繊維を草木染めで色をつけたもので、子ども達の自由な想像力からその布はドレスや人形など様々なものに変身していきます。

『季節のテーブル』にも使われたりしているので、我が家でも少しずつこのプレイクロスを集めていこうかなぁと思っていたのですが、この時期至る所で見かける目にも鮮やかなつつじで、ユズの大好きなピンク色のプレイクロスが作れないかな?とふと思いついたのです。


そこで早速、義父母の家から終わりかけのつつじの花や落ちてしまった花がらをたくさん拾い集めて染めてみることにしました。動物性の繊維(シルク、ウール)が染まりやすいそうなのですが、手始めにふんわり柔らかい手触りが心地よいガーゼを使うことに…。ユズも赤ちゃんのころから慣れ親しんでいる素材だし、と思ったのです。


花を煮出して、色止めをするのですが、みょうばんを使ったら、せっかくピンクに染まった布が普通の生成りになってしまったので、その後2回染色してやっと淡い薄紅色に染まってくれました…。でも、きちんと色止めできていないので、洗濯を重ねるごとに色が薄くなってしまうかも。本当はこの触媒によって色の変化が楽しめるのが草木染の面白いところなのだそうですね。

次は玉ねぎの皮やパセリ、ブドウの皮など身近な素材を使って、少しずつ色々な色を増やして行きたいと思っています。

2005年04月26日

本音と建前

シュタイナー人智学を専門に勉強された方のお話を伺う機会があり、その中で印象に残ったことのひとつに、「子どもの前で子どもの話、特にその子自身の話をしないようにするべきである。」というのがあり、これは私も前から気になっていたことだったので、やっぱりそうなんだ…とすごく納得してしまいました。

義父母のところに行くときや、子連れで友人に会ったりするときは、どうしてもユズの話が中心になってしまいます。でも、1歳半前後の頃からユズのことを話題に出すと、ユズは敏感にそれを察知して、遊びに熱中していても、どこか耳はこちらに傾けているような気配を感じて、ユズが「自分のことを否定されている。」と誤解を受けるような言い方だけはしないようにしようと意識してはいたものの、シュタイナー的観点からは「(どんな内容であれ)子どものことを話題にすることによって、不必要に自分意識を目覚めさせることになる。」のだそうです。

そのときに育つ力を十分に引き出してあげるため、子どもをなるべく目覚めさせないように『7歳までは夢の中』にいさせてあげるということは結構難しいことだと実感しています。


それから、もうひとつ「子どもにあいさつを強要しない。」ということ。子どもは親がするのを見て、自然と真似するようになるのだから…と頭では分かっていても、ユズに向かって「こんにちは。」とか「バイバイ」と声をかけてくださる方に対して、ユズは人見知りが激しく、いつもものすごく無愛想なので、相手の方に申し訳なくなり、「〜しなさい」とまでは言わないものの、「こんにちは〜って(て言っているよの意味)。」などとちょっと暗に挨拶してみたら?という雰囲気のことをユズについつい言ってしまうのです。


頭で考えていることと、実際の行動がかみ合わずに困っていることっていろいろあります。そんなことを考えていると、大人の建前をついつい優先させてしまっている自分に気づきました…。

2005年04月19日

シュタイナー教育への迷い

最近、某早期教育システムの指導者である私の母から、「ユズにも今のうちから何かやらせておいたほうがいいよ。」とちょこちょこ言われるようになって来ました。私たち姉弟3人がお世話になり、それがきっかけで指導に携わることになった教材なので、母にしてみたらユズのために、と心から思ってくれているのだと思うのです。私自身もこの教材にまじめに取り組んだおかげで、『学校でいい成績をとる』ということに関してはある程度の成果があったと思っています。

ですが、ユズには少なくとも今すぐこの手の教材をさせるつもりはないし、おそらくその後もお世話になる可能性は低いかな、と思っているのです。

ユズが生まれてから、シュタイナー教育以外にモンテッソーリ教育や早期教育を実践しているいくつかの団体について調べたり、書籍を読んでみたりした結果、大人が一方的に刺激を与えるのではなく、子どもの内側から芽生えてくる力を信じて見守りたいというのが私の考えなのです。

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2005年04月04日

まだまだ『魔の2歳児』!

最近、ユズの『イヤイヤ!』が治まっているかなぁ、と思っていたのですが、今日は久しぶりに大爆発!!

ユズは自分がするつもりでいたことが急に何かの事情でできなくなる、ということが本当に耐えられないようなのです。

今日も朝から用事があって自動車屋さんに行こうと約束していて、ユズはそのお店にあるおもちゃのお家が目当てだったのですが、行ってみると今日は定休日だったのです。

「しまった…!!!」

案の定ユズは「ブーブー屋さんに行くのー!!」と大泣きです。お休みだから入ることはできないと説明しても全く耳に入っていない様子…。「パン買いにいこっかぁ?」と気をそらそうとしてみたりしたのですが(←ココが大人のずるいところ。)、これも効果ナシ。

仕方なく、自転車に泣き喚くユズを乗せたまま家まで帰ってきました。でも、ユズは家に帰り着いてもまだあきらめません。玄関にへばりついて「ブーブー屋さぁぁ〜ん!!!」と泣き叫んでいるだけ。もはや何を言ってもムダという感じ。こんなときは気の済むまで泣かせてあげるしか方法がないのです。

それでしばらく泣くと、おっぱいを飲んで泣きつかれて寝ていく…というのがいつものパターン。今日はコートも靴も脱がずにお昼寝しています。これを脱ぐと『負けを認めることになる』って思っているみたいで(^_^;

きっと、それほどこだわっていたことでなくても、できなくなったという事実だけが悔しくて、泣いているうちに余計に引き下がれない気持ちになっていくんでしょうね。私自身も結構頑固な子どもだったので、ユズの気持ちはなんとなく分かるような気がします。

それで、お昼寝から覚めると結構ケロっとしていて、「ユズ、泣いちゃってたねぇ。」なんていつも言うのです。今日もそんな風だといいのだけど。お天気もよくなってきたし、お昼からまた公園にでもでかけようかなぁ。
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