2006年01月08日

大村祐子さんの講演会に行ってきました

もうかれこれ1ヶ月近く前のことになってしまうのですが、せっかく足を運んだ講演会。記録を残しておきたいと思います。

シュタイナー人智学を実践する共同体、ひびきの村の主催者である大村祐子さんにお会いするのはこの日が初めてで、とても楽しみにしていました。『競争社会におけるシュタイナー教育の可能性を考える』というタイトルの今回の大まかな講演内容は以下のようなものでした。


競争社会のひずみから起きた事件の象徴として、マンションの耐震構造偽装問題や広島の少1殺害事件がある。競争社会というのは「より良いものを より優れたものを より早く」作ろうとするためにあるものの欠点や弱点を発見して克服するという特性があり、人は人と競い合うとき、自分の正当性を認めてもらいたいがために人を貶めようとしたり陥れようとしたりする気持ちが湧いてきて、結果的に邪悪なことをしてしまったりするものだ。

競争というものは、勝つことによって人より自分は優れているのだというおごる気持ちが人をさげすむ気持ちに変わり、慢心するが結局のところ、それは孤独や不安、不信感がついて回る喜びでしかない。負けた側は自信を失い、自分への不信感、勝った人への恨み、憤り、嫉妬がうずまくことになる。戦争などに象徴されるように、この世の困難や悲しみ、苦しみはすべて人よりもよりよくなりたい、勝ちたいという思いによるものである。そんな大人たちの態度が子どもたちのあり方にそのまま影響を及ぼすものだ。人より優れていなければならないという大人からのプレシャーを感じ、人のことを考える余裕を失くしてしまう。

それを克服する力がシュタイナー教育にはある。

シュタイナー教育では子どもたちにテストをしたり競争させたりしないため、学ぶことは人と競うことではなく、感動を教師と子どもが分け合うことで子どもは世界に関心を持つことが出来るようになる。人間としてしっかりと立つ事、自分の中に調和を作ることを目指している。

例えば、算数の授業で計算は何のためにするのか。シュタイナー学校では、計算とは「等しいものを探すこと」であり、平衡感覚が育っていないと計算をきちんとすることができない。そのため計算ができない子どもは計算練習をするのではなく、まず体を使ってバランス感覚を伸ばす事をする。また、「等しい」という感覚を育てる算数の授業は、人と人が違いがあっても互いに平等であること、互いに愛し合い、支え合うことで進化しようとする道徳感を身につけることでもある。地理の授業では、気候や環境によって人が作り上げる文化や文明が違うことを学び、他者のためにお互いに足りないものを交換することによって共に生きていることを学ぶ。

大人に関することとして、シュタイナーの思想を実践するのがひびきの村のような共同体であり、人が共に暮らし存続して行くためには自分さえよければいいというエゴイズムに支えられた社会ではなく、物を存在させている精神の力を自然や宇宙の中に見出し、自分や他者の弱さや傷を受け入れ精神の進化を遂げることが必要である。例えば共同体の中では自分の成果を人と分け合うことによって成り立っている(たくさん仕事をした人、よりよい仕事をした人がたくさん報酬をもらうという仕組みを取っていない)。

私達大人がこのような意志を持つことによって、少しずつ社会を変えていくことはできないだろうか。


大村さんが最後に残された言葉…『共同体の中で人が共に働くとき、私自身の成果を主張するばかりでなく仲間に譲れば譲るほど私の願いは更に発展するであろう。』※うろ覚えです



競争するということはすべて『悪』なのだろうか?まだまだシュタイナーの思想に疎い私には正直言って、大村さんのお話を聞いても確信を持つことはできませんでした。「切磋琢磨」という言葉もあるようにある程度人と競い合って自分を高めていくことも悪いことではないような…物々交換で世の中が成り立っていた縄文時代のままならよかったとも思えないし…。でも、「売れさえすればよい」というような経済至上主義の世の中はなんとかなならないものだろうか、とは思う。競争の行き着く先は結局はよい結果をもたらさないということになるのでしょうか。

競争社会の抱える問題というのは、子どもにとっても大きい問題だと自分自身の経験を通しても感じることです。人よりよい成績を取って親の期待に応えることが自分の喜びになっていた学生時代。大きなプレッシャーのもとで人との競争に明け暮れていた時間に失ったものは、今となっては取り戻せない大切なものだったような気がしてなりません。自分の中に「芯」が出来上がっていないのはそのせいだけではないかも知れないけれど、未だに自分の考え、価値感などが周りの人と比べたり、周りの人の評価を気にしたり、すごく相対的なところから決まってしまうクセは抜けていないような気がする。競争に勝つための手段でしかなかった勉強は決して楽しいものではなかったし、今となってはそうして得た知識のほとんどがどこかへ消え去ってしまっているのも虚しいばかりです。

9年間の義務教育期間(いや、今後は10年か11年になるのかな?)、自分の子には、もっと学ぶことに喜びを感じられるような教育を与えたいと願います。学校の成績の良し悪しで人の価値が決まる訳ではないという態度をきっちり示したいと思う。そんなことにこだわらずに心と体と結びついた生きた知識を身につけて、自分の生きる道を切り開いていって欲しい…。自分自身に確信を持てる人になって欲しいと思う。そういう意味ではシュタイナー学校のカリキュラム自体はやっぱり魅力的だなぁと思うのでした。



この講演会の主催者である『ほんの木』から新刊が出ているようですよ。
この記事へのコメント
sayahさんこんにちは。いつも読ませていただいてますが書き込むのは初めてでどきどきします。。サイトをリンクしていただきありがとうございました。
幼稚園義務教育化の話は衝撃でした。
私もできるだけ、のんびりゆっくりこどもと過ごしたいと思っています。でも、長女の同級生のお友達は去年から(2歳)習い事にいって大忙し。幼稚園に入る前の集団生活になじむために幼児教室に入っているんです。
乗り遅れないように・・と親がなんでも前もって前もって用意してやることがいいことなのかなと疑問がわきます。
子供時代にしかできないことを楽しんで、本当にやりたいことができたときにそのやる気、集中力、体力などが備わるように今はのんびり遊んでほしいと思っています。
sayahさんのまわりには同じようにシュタイナー教育に関心のある、またはのんびりゆったりいこうとしているお友達がいますか?私の今一番の悩みはこうして自分のやりたいようにすることで、こどものお友達がどんどん習い事や幼児教室で、情報を共有したり仲良くなっていくのに娘が孤立しないかということです。
孤立するからと自分の意志を曲げるのもくやしいし、かといって孤立するのをみていたくはない。できれば同じ考えを持つ魅力的なシュタイナーの学校や幼稚園にいれたいけど、場所やお金の問題もあるし。。。
毎日悩みます。

Posted by ニャー at 2006年01月09日 20:06
sayahさん、こんにちは。大村祐子さんの講演会に行かれたのですね。「ひびきの村」の本、わたしも図書館で借りて読みました。
sayahさんのシュタイナーの考えに共感しつつ、ご自身の実感と常に照らし合わせて見ているところに、わたしはとても好感をもっています。
わたしの子どもは、ふつうの公立小学校に行っていて、親の考えでテレビやおもちゃ、身の回りのものに制限(本人にとっては)があるだろうけど、やはり学校のカリキュラムが中心の生活になっていて、とくにシュタイナー的生活が暮らしの中にあるとは言えないような感じかなと思います。ただ、小さいときからできる範囲で、シュタイナーの考えを取り入れよう、それが人間にとって自然なことだから、という気がしてしまうのです。
だけど、子どもが大きくなったときに、たとえば
学習の遅れや成績などが気になったとして、本当にこれでよかったのかと思えるかというと、ちょっとぐらついてきます。そのくらい、周囲の方の教育熱との差を感じてしまうのです。
自分もどちらかというと競争の中で結果を出したものだけが勝ち組、という中で生きてきた感じで、どこかでそれがしみついているのではないかと言う気持ちもあるのです。
きっとこれから迷ったり、悩んだりすることもあるだろうけど、子どもは一足飛びに成長するのではないので、そのときそのときをたいせつに日々を積み重ねていきたい、と思っています。
でも、こうして子育てについてまじめに考えている方がいらっしゃるのは励みになります。
sayahさんの意見をこれからもどんどん聞かせてください。
Posted by mato at 2006年01月10日 11:52
sayahさん、こんにちは
競争社会とシュタイナー・・・悩ましいところですね。

メイは幼稚園に入る前はかなりシュタイナーに浸っていたのですが、今は周りの子と大差ないです。
文字に関しても、親の知らないうちに周りの子が書いているのを見て、数字の1〜5まで書けるようになっていました(驚)
ジンはメイを見て育つので、もっと早くいろいろ勝手にできるようになるのかな?

競争社会に巻き込まれるかどうかは、要は『親』なのではないかと思います。
例えば、親が成績が良くなってほしいと子どもに期待し、勉強しなさいと口煩く言うと、子どもは従うかどうかの選択を迫られ、知らないうちに、親の価値観の根底にある競争に巻き込まれてしまう。
もし、親が『勉強は自分が大人になってやりたいことをするために、必要なことだから、やりたければしなさい』と子どもに考えて選択させるとすれば、子どもは楽な道に流されるかもしれないけれど、周囲を見て自分で考え、自分なりの行動を取らなければならないと思うのです。
もちろん、得た物、代償を負うのは子どもです。
親が必要以上に介入すべきことではありません。
(親心としては難しいことでしょうが、子どもを一生抱え込んでいくわけにも行かないので・・・)

親が周囲の思惑に流されず、子どもを『個』として尊重することが出来るかどうかで、競争社会の中でも心の持ち方に差が出てくるのではないでしょうか。

メイが成長するにつれ、シュタイナーの言う『真に自由な人間』になるために親のできることは、環境を整えてあげることだけなのだと痛感します。
環境を整えてあげるといっても、今は幼稚園も選んで入園させることができたし、家庭環境も自分で決められる。
でも、小学校にはいったらそうは行きませんよね。
だから、シュタイナー的に育てるためには、親はもちろん競争に囚われない生き方をしている人が子どもの周りに居てほしい、それが時折しか接しない人でも構わないから居てほしいと思っています。
競争に囚われず、自分の考えを生き方に反映させている人に接することが、競争社会で生きざるを得ない子どもに影響を与えると思うのです。

私も過度な競争は良い影響を与えないと思う一人です。
確かにシュタイナー学校は魅力ですが、転勤のある我が家は選択肢に入れるわけには行かないので、残念なところです。

最後にsayahさんのコメント前なのに恐縮ですが・・・
ニャーさん、周りにシュタイナー関係やのんびり育児のお友達がいないからといって心配なさらないで下さいね。
私も今は周りにそういった友達はいません。
でも、上の子メイは周囲を巻き込む想像力で幼稚園入園早々から周りの子どもを振り回していたようですし、入園前も公園で毎日違う子どもと(その場限りではあったけど)楽しく遊んでいましたよ。
ニャーさんご自身が辛いのであれば、シュタイナーサークルに行ってみてはいかがですか?
『シュタイナーと幼児教育の情報交換』
http://www.geocities.co.jp/Berkeley/5210/
こちらのリンクに全国各地のシュタイナーサークルや研究会、シュタイナーを取り入れている幼稚園が載っています(少し情報が古い気がしますが・・・)
Posted by 荷葉 at 2006年01月11日 16:45
>ニャーさん

初書き込みありがとうございます。嬉しいです♪

私の周りでも、英語や音楽の教室がたくさんあるので、やはりそういうところに行かれるお友達は多いです。市の母親教室で出会ったお友達もほとんどの方が3年保育に行かれるので春から遊ぶ機会が少なくなってしまいそうで寂しいです。

私も子どもがもっと小さい頃はなかなか子育ての考えの似ているお友達が見つけられなかったのですが、わらべ歌の教室やシュタイナー関連の講座などあちこち出かけるようになって、やっと何人かゆっくりペースで子育てしている方たちにめぐりあえました。でも、やはりネット上で刺激をもらうことも多いかな…。荷葉さんが紹介してくださっていますが、こちらのリンク集もよかったら見てみてください(http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/5210/link01.html)後は、たとえば木のおもちゃ屋さんなどに置いてあるイベント情報や講座などでもそういったお友達に出会えるチャンスかも知れないですよー。私もそういうところに出かけていって地道に出会いを求めたりしています。

娘さんが孤立しないか…ということの答えになるかどうかは分かりませんが、シュタイナー教育の幼児教室の先生が子どもが小さいうちは決まったリズムが繰り返される家庭生活が最も大切だとおっしゃっていました。その先生のお宅ではお子さんは小学生ですが、お友達のお家に行き来するのはせいぜい月に2回ほどだそうです。我が家は、一時期娘が全くお友達の家などにも行きたがらないことがあって、ある意味孤立していたような時期もあったのですが、完全にマイペースで暮らすのもいつの間にか心地よくなってしまいました。


今まで仲良くしていた方とそういった考えの違いで縁遠くなってしまうのは寂しいですが、開き治ってしまえば親子水入らずで過ごせるのも今のうちだけかも知れませんよ!悩みがあったらネット上ではあるけれど、こうしていろいろな方とお話できるのも私にとってはとても励みになっています。



Posted by sayah at 2006年01月12日 00:01
>matoさん

私は人一倍、自分の置かれていた教育環境に反発が強いのかも知れないですね(笑)。お金がない中でもすごい努力をして3人の子どもに多大な教育費を捻出してくれたことには感謝しているのですけれど。

親がどこまでレールを敷くのかというのは、難しいです。ある程度は導いてあげなければならないけれど、行き過ぎると子どもにとってはプレッシャーになるだけのように思えます。でも、本当にmatoさんのおっしゃるように『人間にとって自然なこと』って何なのか日々感じながら子育てしたいなぁと思います。

私の友人の中にもシュタイナー教育を実践していても、いざ公立の学校に行くと周りに遅れをとっているように見える子どもの勉強のことはやっぱり悩みの種のようで、私自信も子どもがそうなったときにどうやって子どもに自信を持たせてあげたらいいのかという点では悩むことになるのかも知れません。学校に上がるとシュタイナー教育に関して家庭でできることも限られてくるのでしょうね。具体的にはオイリュトミーとかフォルメン線描などの芸術活動を通して治癒的なことを実践していくことになりそうです。

matoさんのご意見を伺ったり、ブログを読んだりするのも私にとってはとてもよい刺激になっています。またいろいろお話しましょうね〜!

Posted by sayah at 2006年01月12日 00:13
>荷葉さん

文字に関しては、もう文字に囲まれて生活している以上、やっぱり子どもは自然と興味を持ってしまいますよね。よほど意識して文字を排除しない限り難しいなぁと思います。ユズも私が文字を書いているのを見て、自分も何かを書いているつもりになったりして遊んでいるし、このごろはなんて書いてあるの?と聞かれることもしばしばで…。でも、遊びを通して自然と覚えていくのなら頑なに7歳までは教えない、という姿勢はとらなくてもいいかなぁと思ったりもしています。

競争社会の問題について、やはり親の態度次第、と私も思います。でも、競争ということの深い意味を考えると、よりよい暮らし、よりよい生活、よりよい教育、といつの間にか他と比較している自分がいて、大村さんのおっしゃるような『精神の進化』は私にはなかなか遂げられそうにありません(苦笑)。

子どもにいつから何をどう選択させるのかというのは私自身、悩んでいるところです。でも、親にとっても子どもにとっても選択をする、ということは自分自身が責任を負うということなのですよね。そういう中から自分というものを探し成長していってくれたら…と願います。

シュタイナー学校に関しては経済的、距離的な問題はもちろんあるのですが、他にもいろいろあって、我が家も結局は公立に行く線が濃いです。
Posted by sayah at 2006年01月12日 00:29
出遅れましたが・・とてもタイムリーな話題なので出てきてしまいました。今、何件かシュタイナーの園の催しに参加したりしていて、4月入園をすこし考えてました。迷いに迷い、やめました。
理由は色々あるのですが、なんとなく、その教育をしているから、特別。のように私が感じてしまったのです。明らかに、幼稚園くらいじゃそうでもないですが、その上の学校となると、普通の義務教育とは違ってくるし、私は正直それに不安がありました。
競争の事もそうかなぁと。。
私も全ては悪くないと思います。何事も体験しないと成長はありえないと思ってます。
競争から挫折を学び、それが他人を思いやる気持ちに発展することもあるんじゃないかと。。
色々な事で、揉まれる時期があっても良いのではないでしょうか?本当は全人類がそういう思想で、生活できたらそれがいいのですが、そうじゃない現実の中、競争をしらず育つには、すこし不安があります。だからと言って、勝つことこそ美徳!と教えたくは勿論ありません・・。そして親が子どもが意見を言えないこの時期から、そういったもの(特定の思想など)にどっぷりとつかり、まっしぐらに行く事は果たして良いのかと自分に問いかけてしまいました。(まあ、私は全然ダメダメなんですが、、)そうしたことによって、子どもに生きずらい人生を送らせることにならないだろうかと・・・。
勿論、参考になる事は沢山あるのですが、家でもいつでも出来るようなことなので、家でのんびりとしていこうと思ってます。
私も来月、とある、シュタイナーの講演会に参加します。今から楽しみです。
Posted by みちょっこ at 2006年01月18日 00:11
>みちょこさん

そうですねー、やっぱりシュタイナー教育は『独特』と感じられる部分も結構ありますよね。自分が受けていない教育をどこまで理解できているのかということを考えると、私もどっぷり浸かろうという決意はまだ持てずにいます。「シュタイナー学校に行かせる」という選択は親が明確にレールを敷くことになる訳ですし。

ただ、幼児期の教育に関しては賛同できる部分が多く、今のうちはある程度シュタイナー教育に沿って、でも周りとの兼ね合いも気にしつつ臨機応変にのんびりとやっていこうかなぁという感じです。

子どもの教育に関して、別に特別なことをしなくても「普通」でいいやん。って思ったりもするのですが、今の世の中が私の思っている「普通」からはかけ離れているような気がして、そういう現実から子どもを守りたいと思ってしまいます。でも、現実から目を背けているだけではやっぱりそれも「普通」ではなくなってしまうのかなぁとも…。難しいです。

講演会のお話はブログで伺う事が出来るのかな?楽しみにしています♪
Posted by sayah at 2006年01月19日 22:25
以前一度コメントを書いたことがある京都の田中と申します。こういう作業にうとく、ちゃんと送れているのか定かではありません。大村さんの大阪講演、とても行きたかったのですが行けず、内容をお知らせくださってとても嬉しかったです。どうも有り難うございました。文字に関して大村さんが本の木の「子どもたちの幸せな未来」を考えるシリーズ11号の中で、「小さい子どもは絵を描く延長で文字を書いている。大人が”教え込む”という態度を取るのでなければ子どもたちが文字を読み、書くことはそれほど深刻に考えることはない。子どもが文字に興味を示した時、それを子どもの想像力をかきたてることに役立てればどうか・・・例:これは何て読むの?と聞かれたら、これは空の『そ』。雲がこんな風に広がって、などと話しながら『そ』の字をきれいな色のクレヨンで紙いっぱいに書いて『そ』が持つ広がりや清清しさを表現する・・・いい加減に答える方が、子どもは「知っているのに教えてくれない」と親に対する信頼を失う。その方が文字を覚えてしまうより良くない影響を及ぼす・・・」と書かれています。もう一つ『つ』の字ならこんなお話を子どもに聞かせてあげたら、という大村さん作のお話がありました。私はそれを読んでいたらなんだか胸がいっぱいになって、泣けてきてしまいました。『あいうえお』すべてに関し、絵を描いたりお話を作るのは私には到底できません。でも我が子の名前6文字に関しては素敵な絵を描こう、お話を作って聞かせよう、と今から練っています。またいろいろなことお聞かせください。楽しみに読ませて頂きます。
Posted by 京都の田中 at 2006年01月29日 01:08
>京都の田中さん

こんにちは〜。きちんと送れていますよ!

大村さんのお話は要所をメモしたところをかいつまんで記述しているようなところもあるのですが、大体どのようなことをお話されたのか、ということが伝われば…と思って記事にしてみました。お役に立ててよかったです。

ほんの木さんのシリーズは、興味深いものが多いのですが、最近出版されたものはまだ目を通していないのです〜。文字のことに関してのお話、参考になりました。私も文字に限らず子どもが尋ねてきたことに対して、はぐらかすようなことはしたくないなと考えています。シュタイナー学校の文字のエポックの展示を見たときに、ひとつひとつのひらがなを見て自分がイメージしたものを子どもたちが絵にしていました。子どもが文字をただの記号として暗記するのではなく、なりたちや自分がイメージしたものと一緒に自然に身につけられたら本当に素敵ですよね。

でも、こちらから示してあげるとなると、親の想像力も試されそうですね〜。名前の文字だけでも考えておくというのはいい案ですね!私もマネさせて頂こうと思います♪
Posted by sayah at 2006年01月31日 15:57
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